最終更新日:2025-11-12

国税庁が注視する「富裕層」の正体──見えない選定基準と強まる税務調査

  • 2025/11/12
国税庁が注視する「富裕層」の正体──見えない選定基準と強まる税務調査

「富裕層」とは誰か――。メディアでは1億円以上の資産を持つ層とされるが、課税当局である国税庁の「富裕層」基準は長らく公にされてこなかった。だが、近年の国税庁の動きやOBの証言から、内部的な「選定基準」の一端が見えてきている。税務調査件数は再び増加傾向にあり、相続や海外資産をめぐる監視の網は年々緻密化している。


曖昧な「富裕層」定義と国税庁の監視強化

「富裕層」という言葉は広く使われるが、その定義は実に曖昧だ。たとえば野村総合研究所は2014年、純金融資産1億円以上5億円未満を「富裕層」、5億円以上を「超富裕層」と定義している。しかし、これはあくまで民間の指標であり、課税当局の基準とは異なる。

一方、国税庁は近年「富裕層監視」を急速に強化している。税務署の定期調査とは別枠で、富裕層を専門的に扱うチームを設置。東京・大阪・名古屋の各国税局では、富裕層プロジェクトチーム(PT)が組織され、課税総括課や資産課税課など複数部署が横断的に連携している。通常の「縦割り」体制を超え、税目をまたいだ総合調査を行う点が特徴だ。

この動きは、「富裕層の資産全体を多角的に把握する」という国税庁の強い意思を象徴している。

公表されない「富裕層」選定基準──内部情報が語る実像

国税庁は、どの程度の資産や所得を持つ者を重点的に監視するかについて、具体的な数値基準を公表していない。公式に示されるのは、「有価証券・不動産等の大口所有者」や「経常的な高額所得者」といった、抽象的な表現にとどまる。

だが、元資産課税部門の国税OB税理士の取材から、内部で運用されているとみられる「管理上の目安」が明らかになってきた。これらはあくまで国税庁の内部的な選定基準であり、調査対象を抽出する際の指標として使われている可能性が高い。

国税庁内部で運用される「大口資産家(富裕層)」の選定基準(取材による推定)

1. 年間配当金が4千万円以上

2. 所有株式が800万株(口)以上

3. 貸付元本が1億円以上

4. 貸家などの不動産所得が1億円以上

5. 所得合計額が1億円以上

6. 譲渡所得・山林所得の収入が10億円以上

7. 取得資産額が4億円以上

8. 相続などの取得財産が5億円以上

9. 非上場株式の譲渡収入10億円以上、または上場株式の譲渡取得1億円以上で45歳以上

10. 海外取引を継続的に行う者、または上記に該当し海外取引を有する者

これらの項目から、国税庁が「富裕層」を所得・資産・取引規模など多面的に選定していることが分かる。国税OB税理士は「具体的な金額基準を明言することはできないが、一定の内部管理基準は存在する」と語る。

高水準を維持する調査件数と徴収実績

国税庁が公表する「富裕層に対する実地調査件数」は、過去10年を通じて500〜800件台で推移している。以下は国税庁報道発表資料に基づく推移だ。

国税庁  「富裕層に対する実地調査件数」
事務年度調査件数(件)申告漏れ所得金額(億円)
平成24(2012)86843
平成27(2015)565390
平成30(2018)859328
令和2(2020)517150
令和3(2021)477374
令和4(2022)667514

コロナ禍で一時的に減少したものの、令和4事務年度では再び増加。申告漏れ所得金額514億円という水準は、一般調査と比較しても極めて大きく、調査の効率性・的確性の高さを示している。

海外資産の徹底把握──「国外財産調書」と「財産債務調書」

国税庁が富裕層監視を強化する柱のひとつが、海外資産の捕捉制度だ。

▪ 国外財産調書制度

平成26年から導入され、**海外に5千万円超の資産を保有する居住者に対して、確定申告時にその内訳を報告することを義務化した。

 ▪ 財産債務調書制度

平成27年改正で新設。所得2千万円超かつ資産3億円以上または有価証券1億円以上の個人を対象に、国内外の全資産を申告させる制度である。

これにより、国税庁は金融資産はもちろん、宝飾品・貴金属・非上場株式といった資産も把握可能となった。

 さらに、OECD加盟国との自動的情報交換制度(CRS)により、海外銀行口座情報も共有されている。いまや「海外口座は見つからない」という時代ではなく、富裕層の国際的資産移動まで国税庁が追跡可能な体制が整っている。

相続税調査の厳格化と「時限爆弾」

高齢化の進行に伴い、相続税収は2023年度に3兆円を突破。課税割合も死亡者数の約1割に迫り、もはや「一部の富裕層だけの税」ではなくなりつつある。

相続税の申告期限は10カ月以内だが、その1年後、税務調査が突然行われることも少なくない。調査官は申告書と資産動向を照合し、不審な取引や評価額の乖離があれば実地調査に着手する。とくに、富裕層の相続案件は重点調査対象とされ、複数年にわたる資金移動まで分析されるケースもある。

 国税庁はこの分野でも「富裕層監視チーム」を活用しており、資産管理会社や海外信託を利用した節税策にも厳しい視線を向けている。

「透明化」時代の富裕層リスク

国税庁は過去10年にわたり、富裕層への調査体制を組織的に拡充してきた。その結果、「国外財産調書」「財産債務調書」「自動情報交換」「相続税調査」の4本柱が連動し、富裕層の資産動向を立体的に捕捉する仕組みが完成しつつある。

いまや、富裕層の資産は国境を越えても「見える化」される時代だ。資産を持つ人ほど、正確な自己資産の把握と適正な税務対応が欠かせない。

「知らなかった」では済まされない――それが、国税庁が描く“富裕層監視”の現実である。

編集長あとがき

 「富裕層課税」というと他人事に聞こえるかもしれない。だが、所得2千万円・資産3億円といった基準は、企業オーナーや不動産オーナー、医師、起業家などにとって決して遠い話ではない。「資産の見える化」と「説明責任」が問われる時代、税務当局との向き合い方そのものが、資産防衛の第一歩になるだろう。

クローズアップインタビュー

会計業界をはじめ関連する企業や団体などのキーマンを取材し、インタビュー形式で紹介します。

税界よもやま話

元税理士業界の専門紙および税金専門紙の編集長を経て、TAXジャーナリスト・業界ウォッチャーとして活躍する業界の事情通が綴るコラムです。