最終更新日:2025-11-06
高所得者課税「1億円の壁」是正への動き──ミニマム課税拡大の行方と限界
- 2025/11/06
財務省は、富裕層ほど所得税負担率が下がる「1億円の壁」を是正するため、超高所得者へのミニマム課税の対象拡大を検討している。2025年から導入される新制度では、最低22.5%の税負担を確保する仕組みを設けたが、現行の基準、おおむね年「30億円超」を「10億円」や「20億円」に引き下げる案も浮上する。背景にはガソリン減税による1.5兆円規模の財源不足がある。もっとも、増収効果は限定的で、投資家心理や成長戦略への配慮が不可欠だ。
庶民にあまり縁のない世界、「1億円の壁」とは、所得が1億円を超えると、かえって所得税負担率が下がる現象を指す。背景には、所得構成の違いがある。給与所得や事業所得は累進課税で最大45%(住民税を加えると約55%)の税率が適用される。一方で、富裕層の主な収入源である「株式の譲渡益」や「配当所得」は、金額にかかわらず
「所得税15%+住民税5%=計20%」
の分離課税となる。そのため、所得が増えるほど給与所得の比率が下がり、税率の低い金融所得が占める割合が高まる。結果として、国税庁の推計では、9千万円~1億円層の負担率25.9%をピークに、その後は低下。100億円を超える層では16.2%と、2千万円前後の層よりも低くなる(2023年データ)。
こうした逆転現象が、「所得再分配機能が働いていない」との批判を招いてきた。
ミニマム課税の仕組みと拡大案
(1)新制度の概要
政府は2022年末にまとめた2023年度税制改正大綱で、「超富裕層に対する所得税負担調整措置(ミニマム課税)」の導入を決定。2025年分の所得から適用が始まる。
同制度は、特定の高所得者に最低22.5%の税負担を課す仕組みだ。所得税計算上、控除額3.3億円を超える部分に対し、22.5%を下回らないように追加課税する。実務的には、金融所得の比率が高い場合、年間所得10億円~30億円程度から負担増が生じるとされる。対象者はおよそ300人程度と推定される。
(2)対象拡大と財源問題
財務省は現在、この基準を引き下げる検討を進めている。目安を30億円超から20億円や10億円へと下げれば、対象者を数倍に拡大できる。議論が再燃した背景には、ガソリン税(特例税率)廃止による減収額約1.5兆円という巨額の財源問題がある。
与野党は2025年12月末にガソリン税の上乗せ分、2026年4月に軽油の特例税率を廃止することで合意。合意文書では「極めて高い所得層の負担見直し」が財源案として明記された。当初は「金融所得課税の見直し」案も浮上していたが、「貯蓄から投資へ」の政策に逆行するとの懸念から、最終的にミニマム課税強化に焦点が移った。
(3)増収効果の限界
しかし、ミニマム課税による増収効果は限定的だ。財務省や民間試算によれば、税収は年300~600億円規模にとどまる見込みで、ガソリン減税による1.5兆円の穴埋めには到底届かない。所得上位300人に対して数億円単位の追加負担を課しても、税収全体への寄与はごくわずかだ。結果として、企業向け減税の見直しや補助金縮減など、複数の財源措置を組み合わせる必要性が高い。
投資家心理と成長戦略への影響
富裕層への課税強化は「公平性」の観点では理解されやすい一方、投資家心理を冷やすリスクをはらむ。日本株は2024年以降、NISA拡充や「資産運用立国」方針を背景に史上最高値圏にある。過去には岸田文雄政権や前首相の石破茂氏らが金融所得課税強化を示唆した際、市場が敏感に反応して株価が一時的に下落した例もある。
このため、政府はミニマム課税導入と並行して、NISAの抜本的拡充など「アメとムチ」のバランスを意識した政策設計を行ってきた。今後も金融所得課税を拡大する場合は、成長戦略との整合性が問われる。
もう一つの焦点は、スタートアップ支援との整合性だ。
起業家が株式売却で得た利益まで一律に課税を強化すれば、創業意欲を削ぐ恐れがある。政府は、再投資を前提とした場合に課税を繰り延べる仕組みや、NISAなど非課税制度を通じた資金循環を維持する方針だ。単なる「増税策」としてではなく、経済活力を損なわない制度設計が求められている。
海外の富裕層課税が見本!?
海外では、富裕層課税と投資促進のバランスを取る試みが進む。米国には、一定所得以上に最低税負担を課すAMT(代替的ミニマム税制)があり、税率28%を下回らない仕組みを導入している。英国では、キャピタルゲイン課税を段階的に引き上げた一方で、起業家に優遇措置を設けた。いずれも「資産所得の捕捉」と「起業・投資への配慮」を両立させている点が共通している。
日本のミニマム課税も、制度目的は公平性の回復だが、グローバル資本移動の時代においては税率競争と富裕層流出のリスクを同時に考慮する必要がある。
「1億円の壁」是正は、所得再分配の象徴的課題だが、それだけで税制の公平性を回復することは難しい。課税ベースの拡大や、国際的な情報共有制度の強化(OECDの共通報告基準=CRS)など、富裕層の所得捕捉力を高める改革が併せて求められる。
財務省は今後、与党税制改正大綱(2025年12月公表予定)に向け、対象所得の基準や追加税率のあり方を詰める。富裕層への課税強化が社会的公正を確保しつつ、投資促進やイノベーション政策とどう両立するか──。それが、次期税制改正の最大の焦点となる。
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税界よもやま話
元税理士業界の専門紙および税金専門紙の編集長を経て、TAXジャーナリスト・業界ウォッチャーとして活躍する業界の事情通が綴るコラムです。



